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   VenezianCafe'    VeneziaWalker  これ以上ない!ヴェネツィア詳細ガイド

地図なしで歩くヴェネツィア 

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迷路のようなヴェネツィア、路地名まで書いない地図も多く個人旅行ではなかなか旅を楽しめない街でもあります。このVeneziaWalkerは現地で地図もガイドももたずにヴェネツィアを自在に歩けるようにつくられている唯一の詳細ガイドです。 

[前回までのコース]
第1回 リアルト橋〜S.M. フォルモーザ教会〜マルコ・ポーロの家〜S.バルトロメオ広場〈Tour guide1〉
第2回 S.ルチア駅〜ゲットー広場〜カ ドーロ〜リアルト橋
 〈Tour guide2〉 

第3回 サン マルコ広場からフェニーチェ劇場
散歩コース(所要時間3時間)

サン ザッカリア〜サン マルコ広場〜サンステファノ広場〜フェニーチェ劇場〜サンマルコ広場(午前中にスタートすることをおすすめします)

ヴェネツィアの海の玄関サン ザッカリアが今回の出発点。ドゥカーレ宮殿の壮麗なバラ色の壁にヴェネツィアのシンボル「有翼のライオン」をのせた2本の柱が印象的なこの場所は、昔から圧倒的な存在感を人々に与え続けてきた。

海沿いにスキアヴォーニ海岸を左へ、ためいき橋を渡ったところに無数のバポレットが発着する船着場サンザッカリアがありヴィットリオ・エマヌエレ2世の騎馬像が見える。その手前、ホテルサヴォイアの脇のソットポルティコ サン ザッカリア(sottoportico S.Zaccaria)を行くと9世紀創建のサン ザッカリア教会(Chiesa di S.Zaccaria)のある広場に出る。数度の改築を重ねた後、建築家ガンベッロから引き継いだ15世紀の著名な建築家コドゥッシ(M.Codussi)によって現在の姿になった。正面は15世紀ヴェネツィアルネッサンス装飾の典型例、鐘楼は12世紀のヴェネト ビザンチン様式を保っており、教会内にはジョバンニ ベッリーニ、デューラー等の絵がある。

教会前広場のつきあたり、ここにはかつて修道院があったところで、今でもガラスショップの上に広場での遊戯や大声、汚い言葉、ごみを捨てたり木を植えたり物を持ち込むことを禁じた1620年8月付けの告示プレートが残っている。道なりに左にまっすぐ進みサン・プロヴォロ広場をつっきりさらに行った橋の手前を左に行くとヴェネツィアでも特にその美しさで知られるキオストロ S.アポロニアがある。中にある美術館の開館時間だけ入れるのでぜひ寄ってみてほしい。12世紀につくられたこの回廊は現在唯一ヴェネツィアで見られるロマネスク様式のもので壁にはローマ時代の石やヴェネツィアの年表などもあり、外の喧騒がうそのように静寂で心休まる空間だ。(美術館:Museo Diocesano d'Arte Sacra, 月曜-10:30-12:30)

 さきほどの橋にもどろう。左手にためいき橋を見ながら道なりにまっすぐ進むと、大聖堂のあるサン マルコ広場にでる。828年にエジプトのアレッサンドリアから聖マルコの遺体がヴェネツィアに運ばれてきてから建築が計画され、1071年に今の大聖堂の姿となった。正面入り口には見事な彫刻がほどこされたアーチが見え、その中でも特に真ん中の輪の12ヶ月のモチーフがすばらしい。(この彫刻についてはラスキンの「ヴェネツィアの石」を参照されたい)大聖堂に入ってすぐの天井には旧約聖書の場面がモザイクで再現されている。右のクーポラからアダムとエヴァ、他にカインとアベル、ノアの箱舟、バベルの塔のモチーフが見られる。

    

中央部分のビザンチン様式の柱頭をもつ柱の上には貝殻の装飾、その反対の壁には6枚の石版がある。上段の3枚は透かし彫りになっていてその隙間から後にある植物のモチーフのモザイクが少しだけ見える。さらに大聖堂内に一歩はいると床から天井まで、異なる時代の見事なモザイクで埋め尽くされており、圧巻だ。右手の礼拝堂天井にも聖ヨハネの物語の見事なモザイクがあるが、ここは祈りをささげる信者のための場所なのでそれ以外の目的では入ることができない。

大聖堂を出て左手にまわると4人の男が肩を抱き合っている斑岩の像がみえるだろう。これはテトラルキ(Tetrarchi)と呼ばれる6世紀のもので、ローマ帝国4分割統治時代の正副帝ディオクレティアヌス、マッシミアヌス、ガレリウス、コスタンティウスが彫られている。デュカーレ宮殿の向い側にヴェネツィアの重要な資料が収められたマルチャーナ図書館があり、身分証明書を提示すれば入館できる。(月曜-金曜8:10-19:00 土曜8:10-13:30)広場の時計塔の下をくぐってまっすぐ行き、つきあたりの布地を売る店前を左折、橋を渡ってすぐ右のアルメーニ通り(Calle dei Armeni)を行こう。トンネル状のソットポルティコの下右側最後のドアが1600年代につくられたアルメニア祭式の教会、S.クローチェ教会だ。

ひっそりとした場所にあって常に閉ざされているが、日曜日の11時のミサ時のみ扉が確かに開くはずなので、真剣に見学を希望するならミサの終わったときに可能かどうかきいてからにしよう。もしかしたら許可されるかもしれない。さらに左に曲がりFabbri通りを右、すぐ次の右の路地コルテ グレゴリーナの突き当たりの小広場まで行こう。広場中央の井戸は15世紀のもので、藤かごを模したような美しく珍しい装飾はヴェネツィア唯一の例。かくされた宝石を見つけたような喜びがまた一つここにある。戻って十字路をさらに直進した右側の建物の壁には13世紀の装飾された石が取り付けられており、そのうちの一つは鳥の足と白鳥の頭になっている尾をもつ海の妖精セイレンが魚を抱えているという変わったモチーフにである。

    


再び十字路に戻って右に行き二つ目の路地をまた右折、S.ガッロ通りを道なりに進もう。石の橋を渡り突き当りを右に、道なりに行ってFuseri通り(Ramo dei Fuseri)を右に進んだ橋の手前の建物は1786年にゲーテが滞在したパラッツォだ。橋のあとさらにまっすぐ進むとカンポS.ルカ(Campo S.Luca)にでる。ここも地元の人に愛されているカンポの一つ。左にある銀行の左の通りを行くと真ん中にライオンの像のあるカンポ マニン(Campo Manin)につくので橋に向かって左側にある細いCalle de la Vida o de le Locandeをさがそう。

黄色い看板にそってCalle corte Contarini dal Bovoloを右に行くとぽっかり開いた空間に泰然とそびえるボヴォロ階段のあるパラッツォ コンタリーニ(Palazzo Contarini dal Bovolo)に到着。1400年代のルネッサンス様式にビザンチン様式が混在したこの階段は上がる途中の各所にもかつてのフレスコ装飾のなごりが見られる。ひっそりとたたずむこの階段の頂上から見る、ヴェネツィアの生活の街としての姿は旅の記憶にいつまでも残ることだろう。眼の前の井戸は11世紀のもの。(土、日のみ、10-16:00) 

もう一度ライオン像のあるカンポ マニンまで戻ろう。左側の橋をわたり両側に店の連なる通りをまっすぐ進むと次のカンポS.アンジェロにつく。この広場の新聞スタンドには日本の日刊紙がおいてある(朝日、日経の朝刊のみ。サンマルコ広場前ヴィトンショップ横のスタンドでも入手可能。ホテルもこの2つのスタンドから買っている)。広場の左手1番目はパラッツォ ドゥオド(Palazzo Duodo)で14世紀のもの、右手のルネッサンス様式の建物はパラッツォ グリッティ(Palazzo Gritti)で15世紀、その隣のパラッツォ トレヴィザン-ピサーニ(Palazzo Trevisan-Pisani)は17世紀のもので正面装飾はドメニコ ロッシ工房のもの。

広場を横切って左側の橋を渡り花屋とBarのある最初の通りを右に折れすぐの階段を7段上がるとそこはCampiello Novo o dei Morti、かつては墓地であった。この小広場を横切って反対側の階段を降り突き当りを右に進んだところの通りの左側にあるギャラリーの入り口上に靴のレリーフがある。ここはかつてドイツ人の靴屋があったところだ。さらにまっすぐ行き比較的大きな通りを左にまがって右一本目の通りの角は1400〜1500年に建てられた、画家ヴェロネーゼ(Paolo Veronese)の住んだ家だ。

靴のレリーフのある道に戻り、そのまま行ってS.ステファノ教会にでよう。ここはS.ジョバンニ エ パオロ教会やフラーリ教会と並んでゴシック様式建築の重要な例の一つだ。1200年代に創建されその後数度の改築を経て1400年代に今の姿となった。教会の横は真ん中に文学者ニコロ トンマゼオ(Nicolo' Tommaseo 1802-74)の像があり錚錚たるパラッツォにかこまれたS.ステファノ広場だ。文学者の左腕方向にあるのは最近美術館としても開館しているヴェネト科学文学芸術院のあるパラッツォ フランケッティ(Palazzo Franchetti, '400)、その左奥は17世紀古典様式建築で現在音楽学校になっているパラッツォ ピサーニと画家モネ等が滞在したパラッツィ バルバロ、一方右横は11世紀の創建で18世紀に改築されたS.ヴィターレ教会。その右はこれもヴェネト科学文学芸術院の建物パラッツォ ロレダンで15世紀のもの。広場のなかでカフェが並んでいる側の薬局の脇の細道を行ってみよう。最初の橋をおりた左側はアルバニア人のスクオラで入り口上にマホメットがスクタリ城をみているレリーフがあり、このレリーフの下にはこのスクオラの守護聖人の聖マウリツィオ、聖母と聖ガッロが彫られているのが見える。向いはこれまた著名人を迎えたパラッツォベッラ ヴィーテ。かつてはヴェロネーゼによるフレスコ画で外壁全体が装飾されていた。そしてこのパラッツォに面した広場は年に数回アンティーク市が開かれるS.マウリツィオ広場だ。

広場を八百屋のあるほうにさらにまっすぐ進み2つ橋をわたった左側の白いバロック様式の教会はS.マリア デル ジリョ教会(Chiesa SMaria del Giglio o Zobenigo)。創建は9世紀にさかのぼるが、建築家ジュゼッペ サルディにより1678年から5年をかけて建てられ、のちにバルバロ家の手により改築され現在の姿になった。外壁にはめずらしい6枚の城塞都市の地図のレリーフがある。左からZara Candina Padova Roma Corfu' Spalatoの各都市である。現在のクロアチアの都市があるのはかつてアドリア海沿岸一帯もヴェネツィア共和国であったためであろう。教会内部はルーベンス(P.P.Rubens)による有名な聖母子と聖ジョバンニーノをはじめティントレットなどの絵画が見られる。ちなみにこの教会のある広場のつきあたりのゴンドラとトラゲット乗り場の横の現在ホテル グリッティになっているパラッツォは15世紀のもので、Wetzler男爵の所有であった時1851年から1年間ラスキン(J.Ruskin)も滞在した。かつて正面の外壁はジョルジョーネによるフレスコ画で装飾されていたが他のパラッツォ同様現在は見られない。 

     Candina

     Roma

教会の右脇、レリーフのある側のPiovan通りを進む。つきあたりを左、このあたりからフェニーチェ劇場の裏手がよく見える。橋を渡って右へ行きギャラリーのある角をさらに右に進もう。橋のあとは劇場にそうようにまっすぐ行くと劇場正面に出る。1836年の火災のあと、記憶に新しい1996年の2度めの火災後の長期間を要した修復工事を経て2004年に再び劇場としての姿を取り戻した。

劇場正面左側のレストラン マルティーニの横の道をまっすぐ進むと広い通りCalle Larga XXII Marzo通りにつきあたる。大きな店舗でにぎわうこの通りを左に進んで橋を渡った正面は聖モイゼ教会(S.Moise)。もとは8世紀にS.Vittoreに奉献され建てられた教会であったが、のちの10世紀にモイゼ ヴェニエールによって改築された。現在の姿になったのは1632年、バロック様式の正面は1668年に完成した。鐘楼は1300年代ヴェネツィア様式の典型例である。

さらに人でにぎわう通りをまっすぐ行くとまもなく今回のコースの到着点のサン マルコ広場が見えてくる。広場の入り口にあたる現在コッレール美術館の入り口階段とガラス店がある部分にはかつて16世紀に建てられたS.Geminiano教会があったが、1800年にナポレオンによって壊され現在の翼廊に姿を変えた。美術館の階段前の床にはそのことを記したレリーフが今でも見られる。ヴェネツィア市内でナポレオンによって姿を変えられたり、取り去られた建築や装飾物は少なくない。広場を囲む建物は教会に面して左側が1500年代に建築家コドゥッシ(M.Codussi)によってはじめられ、B.Bon,Jacopo Sansovinoにリレーされて建てられたもの。右は1500年代末に工事が始められ1640年にロンゲーナによって完成された。ナポレオン時代は王宮であったが現在はコッレール美術館、考古学美術館と図書館となっている。(図書館へは身分証明書があれば入館可能)

長かった今回のコースもここで終わり。充実した数時間を過ごせたと感じてもらえればなによりです。

                               


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